好きになったが100年目

\あ、ぼくー!/

懐古的担降り日記

[murmur][桐山照史]担降りについて本気出して思い出してみた。

急に書きたくなった担降り日記。自分の性格からしてぐだぐだ書いているはずだと思って探し出した過去日記を読み返したのに書いてない!一切書いてない!おかしい!
桐山くんに担降りしたときは何を思って担降りしたのか。いつ担降りしたのか。全然覚えていませんが、もう今後担降りすることもないと思うので懐古担降り日記をここに記したいと思います。
悲壮感ゼロの担降り日記もええじゃないかー!


わたしが桐山くんを正視したのは、2006年初夏、関ジャニ∞のFTONツアーの東京公演でした。たしか横アリではなく代々木体育館で、人生初代々木体育館だったと記憶しております。
KinKi Kidsから関ジャニ∞に降りてから暫し経ち、関ジャニ∞への果てしない愛しさも落ち着いてきた頃。それまで「BADと言えば淳太くん派」だったわたしに革命が起きました。


(照Д史)<いまのおまえらやったらなー、おれらでもかてるわー!*1


好き。


歌とダンスが上手い人が好き!好きになる人は顔も喋り声も好き!だったのに、
歌とダンスはぼんにゃり上手いことを知ってるけど顔は淳太くんの方が好きだし声も当時担当だった安田章大のラジオの喋り声が断トツ一番好きという状態に変化はなかったのに、
この、よくわからないBAD団の男に目を奪われたのでした。


その後は関ジャニ∞を追っかければ桐山くんの仕事の8割は(たぶん)追っかけられる生活、中高生でお金の余裕もなかったのでのんびりまったり応援。
関ジャニ∞から引き継いだ松竹座公演には顔を出し、ツアーのバックが関ジュじゃないと聞いては喚き散らし、楽しい青春時代を過ごしました。
でもeighterであることに疑問はなかったし、関ジャニ∞と桐山くんが両立していることに違和感もなかったし、ましてや桐山くんが一番になるなんて考えもしなかった。
まだまだ桐山くんは、たくさんいる好きな人の中の一人だったように思います。


でも、恋に落ちるのは一瞬ですが、好きな人が変わるのには理由があります。

  • Jr.情報局名義を紛失し、新規登録する=Jr.の中で誰が一番好きか決める必要がでてきたこと。
  • 大倉忠義の日記から「8→1」の文字が消えたこと。
  • 「ろろが山田涼介担に降りる夢を見た!」と言われたこと。

正直どれかが欠けていたらわたしは、少なくともあと数年はeighterだったんではないかとおもいます。
ですが、本当に不意に、これらのことが短期間に、重なりました。


「8→1」が消えたことによる、関ジャニ∞に対する熱量の低下は、ある程度仕方なかったと思います。
安田章大という人のことが本当に好きだったし、今でも好きですが、最初から「安田章大がいるから関ジャニ∞が好き」ではなく「関ジャニ∞の中で安田章大が好き」でしたし、【関ジャニ∞というグループが達成できること】を盲信していました。関ジャニ∞ならなんでもできると思うぐらい、関ジャニ∞が好きでした。生まれて初めて感じたグループ愛にのめり込んでいました。
当時のわたしは、【とても魅力的なグループである関ジャニ∞】にいる人が好きでした。
だから、桐山くんのことを好きになるにつれ、当時は関ジャニ∞というグループの魅力そのものが減ったのだと思っていました。
でも今になって思えば、8→1という、当時eighterの大半が祈るように見ていた言葉を失ったことで、その【関ジャニ∞というグループが達成できること】に対する感情が、興味が、色を失ってしまったのだと思います。
8人の関ジャニ∞が好きなのか、8人の関ジャニ∞に戻るのを応援する自分が好きなのか、恐らく後者だったのでしょう。


それでもわたしは、山下翔央くんも好き。山田涼介くんも好き。浜中文一くんもいい。屋良くんも好きだし、キスマイもエビもデビューしてほしい。関西Jr.なんてまるっと応援したい。
そうやって色んなJr.を応援するのが楽しくて、小さいJr.にも詳しくなって「オタク」を自称するのが楽しくて、関ジャニ∞を中心に据えつつ見える範囲のものすべてに手を伸ばそうとしていました。
今でもその頃に応援しようと思った子たちのことはやっぱり好きですし、魅力的に感じます。世代的なもの(自分との年齢差的な意味で)もあったと思います。
ここまではあり得ることだったと思います。これだけで担降りするのかと、自分でも思います。


そんな中、ふとしたときに言われた、「ろろが山田担に降りる夢を見た!」という言葉に対して、「降りるなら照史だなー(笑)」と、返しました。
本当にそのときは他意もなく。どちらかと言えば、山田涼介くんにすら降りないのに、関ジャニ∞のファンをやめるわけないよ、というニュアンスだったと、記憶しています。そのときは桐山くんより山田くんのことが好きだと自認していたんです。
でもなぜか、降りるなら桐山くんだと。感じました。


その返事をしてからが、速かった。
気付いたら桐山くんの団扇を増産し、Jr.情報局の名義は桐山照史になり、関ジャニ∞のCDは積むだけで聞かなくなり。
踊っている山田涼介より、ただ歌っている桐山照史を観てることの方が幸せになるまで、時間はかからなかったと思います。


関ジャニ∞に対する寂しさがなかったと言えば嘘になります。
KinKi Kidsの「雪白の月」にありますが、まさに「ぽっかりと穴が開いたみたい」。
今の関ジャニ∞を観ても前ほどときめかない。一番好きな過去の映像を観ても、「あああのとき好きだったな」と過去の感情を思い出すのみで、今新しい感情が沸かない。
でもそれすら信じられなくて、こんなに大好きで、こんなに楽しい想いをくれた関ジャニ∞のファンを辞めようだなんて思わなくて、桐山担eighterってのもできるんじゃないかと思った時期もありました。


でも無理でした。
決定打は、今でも覚えています。
「一歳しか違わない人が、こんなにすごいなんて。」
「一年後わたしは、こんなにすごい人に絶対になれない。」
それぐらい桐山くんは、どうしようもなくプロでした。
ダンスも歌も文句なく上手く、見るたびに演技は上達し、Jr.をまとめるために仲良くなかった相方とも話し合いを重ね、先輩の仕事では存分にバックを務め。


なんで世界中の人が桐山くんのファンにならないんだろう?(本気)


そう発言しては友人に白い目で見られるようになるまで、本当に一瞬でした。
わたしにとって本当に桐山くんは完璧な存在で、ずっと天下を取ってくれる存在です。
Jr.のコンサートで、BADが真ん中のセリで大サビを歌っている瞬間の興奮はずっとずっと色褪せません。
これからもずっとわたしは、桐山くんなら天下を取れると思って、桐山くんが取る天下を見たくて、応援し続けると思います。



\嘘です/


もし、もし、そんなことはあり得ないけど、桐山くんがいなくなってしまったら。今はあり得ないって言えるけど、Jr.時代は本当に何十回も考えました。
もう、誰のことも追っかけないな。
桐山くんがいない関西Jr.なんて見てられない。関西Jr.以外はチケットもらえば行くかもしれないけど、桐山くん以上の熱量を持って追いかけることは絶対にできないな。
代わりになる子なんていない。桐山くんの正面しか見ない目も、ぷにぷにお腹も、マイク壊れてんじゃないかってぐらい大きな声も、全部桐山くんしか持ってない。
桐山くんほど、わたしがついていこうって、思える存在は、いない。


そう思ったから、降りました。
最後は特に葛藤もなかった。それが当然のように、桐山くんにだけ気持ちを注ぐ生活が始まって、そして、それが今でも続いています。
そしてもう、降りません。これがわたしの、最後の担降り日記です。
でもどうしても書きたかったんだもん担降り日記!
こうするしかなかったんや!許せ!
あ、でも関ジャニ∞のときも一生eighterだと思ってたな?うん人の心なんて移ろいゆくものだからね!
明日は明日の風が吹く!ハイハイハイ!


桐山くんのファンになって、9年。
桐山くんが一番になって、6年。
想いは変わりません。
でも最近変わったことと言えば、わたし、久しぶりにメンバー愛に目覚めました。ジャニーズWESTというグループをどんどん好きになっています。
いつかいなくなるJr.内ユニットじゃなくて、グループ。
淳太くんのことが好きになっても、しげのこと、小瀧のこと、神ちゃんのこと、濱ちゃんのこと、流星のこと好きになっても、大丈夫。
いなくならない。いや例外もあるけど。コンサートの幕が開いたらいないなんて、そんな心配はしなくていい。少なくともいなくなったことがニュースになる。
勝手にいなくなっちゃうことが、ないんだよ!それってほんとにすごいことなんですよ。
だからってわけじゃないけど、どんどん好きになる。こんなに魅力的な人たちを応援しないと、勿体ない。


隣にいる人がいなくならない幸せを噛み締めながら、一番好きな人を明日も応援できる幸せを噛み締めながら、今日も、たこ焼き型の世界の平和を感じています。
悩んでる方、早くこちら側においでませ!

*1:どこまでも平仮名発音